この記事の流れ(全7章)
1986 年、ニューヨークの債券トレーダーが三か月で $100M を失った。花形だった男は、それから二年で会社を去る。彼がそこから始めた会社が、いま世界でいちばん多くのお金を預かっている。
靴屋の息子が、債券の花形になるまで
ラリー・フィンクは 1952 年、ロサンゼルス郊外のヴァンナイズで生まれた。父は靴屋を営み、母は大学で英文学を教えていた。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校で政治学を学び、同じ大学の大学院で経営学修士を取る。1976 年、ファースト・ボストンという投資銀行に入った。
配属は債券。当時まだ扱いの定まっていなかった商品を任される。住宅ローンを何千本も束ね、ひとつの債券として売り直す仕組みだ。
これが当たった。28 歳で社内最年少の幹部に引き上げられ、31 歳で経営委員会に入る。
三か月で $100M を失って、席を追われた
1986 年、それが逆に回った。金利が読みと反対に動き、備えの仕掛けが効かなかった。フィンクの部署は三か月で $100M を失う。
前の四半期には $135M を稼いでいた部署である。社内での居場所は次第に消え、1988 年に会社を出た。
最大の教訓は「自分のリスクを知れ」だった。それがブラックロック誕生のもとになった
同じ年、フィンクは 7 人の仲間と新しい会社を始める。出資したのは、当時まだ小さかった投資会社ブラックストーンだった。
新会社が最初に作ったのは、投資信託ではない。手元の債券が金利の変化でどれだけ傷むかを計算する、社内用の道具だった。
損を出した理由が「見えていなかったから」なら、まず見えるようにする。順番が逆に思えるが、これがのちの柱になる。
1992 年に社名をブラックロックへ変え、1994 年にブラックストーンから独立。1999 年にニューヨーク証券取引所へ上場した。
競合にも道具を売る、という商売
その社内用の道具には、アラジン(Aladdin)という名前が付いた。持っている資産を並べ、相場が動いたらいくら損するかを試算する仕組みである。
面白いのは、これを外へ売ったことだ。銀行、年金、保険会社、そして競合の運用会社までが、この土台を借りて運用している。
運用の腕を競う相手に、自分の計器を貸す。売上の規模は本業に比べれば小さいが、性格がまるで違う。
相場が下がっても、契約が続くかぎり使用料は入り続ける。2026 年 4〜6 月期のこの部門の売上は $566M で、前年同期より 13% 増えた。
預かり資産は相場次第で毎日ぶれる。使用料は契約で決まる。ぶれる商売の下に、ぶれない床を敷いた形になっている。
- 1952カリフォルニア州ヴァンナイズで生まれる
- 1976大学院を出てファースト・ボストンへ、債券を担当
- 1986三か月で $100M の損失、社内での道が絶たれるリスクを測るという発想の出発点
- 19888 人でブラックロックを創業、ブラックストーンが出資
- 1992社名をブラックロックに改める
- 1994ブラックストーンから独立
- 1999ニューヨーク証券取引所に上場
- 2006メリルリンチの運用部門を統合
- 2009バークレイズから上場投資信託の事業を $13.5B で買収アイシェアーズを手に入れた
- 2018企業に「存在意義」を問う年頭の手紙が世界の話題に
- 2023環境・社会・企業統治(ESG)という言葉を使わないと表明
- 2024インフラ運用会社を $12.5B で買収
- 2025私募融資の会社を $12B で買収、私募データ会社も取得
- 2026預かり資産 $15.3T、創業から 38 年
安く集めた資金を、高い場所へ運ぶ
2009 年、金融危機の直後に大きな買い物をする。バークレイズから運用部門を $13.5B で買い取った。
目当てはアイシェアーズ(iShares)という商品群である。株のように売買できる投資信託、いわゆる ETF だ。
ETF は手数料が非常に安い。一本あたりの儲けは薄く、数を集めた会社だけが勝つ商売になる。
その規模を一度に手に入れたのが、この買収だった。アイシェアーズはいま 1,700 本を超え、世界の ETF 市場のおよそ 3 割を占める。
ただし、安い商売は安いままだ。ここ数年のフィンクは、手数料の厚い側へ会社を寄せている。
2024 年、空港や送電網といった施設に投資する運用会社を $12.5B で買った。
2025 年には、上場していない企業へ直接お金を貸す会社を $12B で取得する。銀行の代わりに融資する商売だ。
どちらも手数料が厚い。同じ額を預かっても、入ってくる手数料が桁で違う。
読者の側から見ると、ここが分かれ目になる。安い商品を大量にさばく会社のままなら、相場が崩れたときに一緒に沈む。
契約で決まった使用料と、長い期間しばられる私募の資金。この二つが増えるほど、業績の振れ幅は小さくなる。
三文字を、口にしなくなった
フィンクは毎年、世界の主要企業の経営者へ手紙を書く。世界最大の株主からの手紙なので、受け取った側は無視できない。
2018 年の手紙は、利益だけでなく社会での存在意義を語れと迫るものだった。ここから彼は、環境や人権に厳しい投資家として知られていく。
反動は米国の政治から来た。テキサスなどの州が「化石燃料に冷たすぎる」と反発し、公的資金を引き揚げる動きが広がる。
2024 年には、テキサス州の教育向け基金が $8.5B を引き揚げた。
2023 年、フィンクは環境・社会・企業統治(ESG)という言葉を今後は使わない、と述べた。
理由は単純だった。その三文字が、左右どちらの政治からも武器として使われるようになったからだ。
この言葉は左からも右からも武器にされ、対話そのものが失われた
2026 年の手紙で彼が掲げたのは、脱炭素と、電気を安く安定して届けることの折り合いだった。
理想を降ろしたと読む人もいれば、現実に合わせただけだと読む人もいる。
どちらにせよ、預かった額が大きすぎるために、彼の一言はそのまま政策の話になってしまう。運用会社の経営者が背負う荷物としては、かなり重い。
73 歳、後継はまだ決まっていない
フィンクは 73 歳になった。数年内に退くとは言っているが、後任は決まっていない。
社内では複数の幹部が候補に並ぶ。最高執行責任者のロブ・ゴールドスタイン、最高財務責任者のマーティン・スモール、海外部門を率いるレイチェル・ロードらである。
有力と見られていた幹部が突然会社を離れ、候補の並びが組み変わったこともある。共同創業者で社長のロブ・カピートが候補を鍛える役を担ってきたが、指名はまだない。
総額ではなく、割合を見る
ブラックロックの株を見るとき、預かり資産の総額を追ってもあまり意味がない。相場が上がれば勝手に増えるからだ。
見るべきは二つ。私募市場から入る手数料と、アラジンの使用料が、売上の何割まで伸びたか。
その割合が 3 割に近づくほど、この会社は相場と一緒に揺れる運用会社から離れていく。
最後の変数は、創業者が去った後もその設計が回るかどうかだ。
フィンクが 38 年かけて作ったのは商品ではなく、仕組みだった。仕組みなら、作った本人がいなくても動くはずである。答え合わせは、そう遠くない。
出典:
- BlackRock Reports Second Quarter 2026 Earnings(BlackRock Investor Relations) — https://s24.q4cdn.com/856567660/files/doc_financials/2026/Q2/BLK-2Q26-Earnings-Release.pdf
- BlackRock, Inc. Form 10-K, U.S. Securities and Exchange Commission — https://www.sec.gov/cgi-bin/browse-edgar?action=getcompany&CIK=0002012383&type=10-K
- BlackRock to Acquire Barclays Global Investors(2009 年 6 月 11 日, SEC Form 8-K) — https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/0001364742/000134100409001192/blackrock_ex99-1.htm
- BlackRock to Acquire HPS Investment Partners(BlackRock 公式発表) — https://ir.blackrock.com/news-and-events/press-releases/press-releases-details/2024/BlackRock-to-Acquire-HPS-Investment-Partners-to-Deliver-Integrated-Solutions-Across-Public-and-Private-Markets/default.aspx





