この記事の流れ(全6章)
1999年、丸いバッジを胸に付けて歩く男がいた。「ソフトウェア」の文字に、赤い斜線が引いてある。ソフトを売る会社の創業者が、ソフトはもう買わなくていいと言い続けた。
これは商品の説明ではなく、売り方の宣言だった。当時の業務ソフトは、箱で買って自社のサーバーに入れるものだった。
セールスフォースはそれを、月ぎめで借りる形に置き換えた。マーク・ベニオフは、その形に名前を付けて業界の共通語にした人である。
15歳の $75 から、オラクルの13年へ
1964年、サンフランシスコ生まれ。祖父は弁護士で、湾岸の鉄道網を作れと市に訴え続けた人だった。
15歳で初めてプログラムを売った。ジャグリングの手順を教える小さな作品で、値は $75 だった。
高校生のうちにアタリで働き、南カリフォルニア大学では経営を学ぶ。卒業した1986年、そのままオラクルに入った。
23歳で新人賞を取り、やがて社史上もっとも若い役員になる。オラクルには13年いて、営業も商品企画も広報も一通り担当した。
1999年3月、34歳で独立する。サンフランシスコの丘の上のアパートに、共同創業者3人と机を並べた。
古巣の創業者ラリー・エリソンは、この新会社に個人で出資している。のちに自社の競合になる相手を、自分の金で育てたことになる。
- 1964サンフランシスコで生まれる
- 197915歳、自作のプログラムを $75 で売る
- 1986南カリフォルニア大学を卒業、オラクル入社
- 1999セールスフォース創業、「ソフトは要らない」を旗印に
- 2004ニューヨーク証券取引所に上場、公開価格は $11
- 2018ミュールソフトを $6.5B で買収
- 2019タブローを $15.7B で買収
- 2021スラックを $27.7B で買収完了過去最大の買い物
- 2023物言う株主が5社そろい、8,000人規模の人員削減
- 2024エージェントフォースを発表、AIに仕事をさせる商品へ
- 2026年間売上 $41.5B、営業利益率は 20.1% まで回復
買って、名前を付けて、ひとつの商品として売る
ベニオフの成長のさせ方は一貫している。足りない機能は会社ごと買い、まとめて新しい呼び名を付ける。
買った相手は幅広い。システムをつなぐ会社、数字を図にする会社、社内チャットの会社。
買うたびに、全社をひとつに見せる言葉を作り直した。顧客の姿を一望する、という意味の「カスタマー360」がその代表だ。
新しい言葉が業界に定着すれば、値付けの主導権はこちらに移る。商品より先に言葉を売るのが、この人の勝ち方だった。
ただしスラックの $27.7B は重かった。買収の直後から株価は伸び悩み、株主の不満が表に出る。
物言う株主が5社そろった年
2023年1月、会社は人員削減を発表する。規模は8,000人前後で、従業員のおよそ1割にあたった。
背景には、株を買って経営に注文を付けるファンドの存在があった。エリオット、スターボード、バリューアクト、インクルーシブ・キャピタル、サード・ポイントが同時に並んだ。
要求は単純だった。伸びが落ちてもいいから、利益を出せというものだ。
ベニオフはこれを受け入れる。採用を止め、事業を絞り、値上げにも踏み切った。
同じ3年で、売上の伸びは年20%台から10%前後まで落ちている。増える会社から、稼ぐ会社へ性格が変わった。
投資家の受け止めは割れたままだ。株価は2024年末に付けた高値から4割以上下げ、時価総額は $200B を下回っている。
寄付を制度にして、自分は舞台に立つ
もう一つの顔は寄付である。創業時から、株式の1%・製品の1%・社員の労働時間の1%を社会に回す仕組みを社内に組み込んだ。
思い付きの善意ではなく、会社の骨組みとして最初に入れたところが要点だ。この形はほかの新興企業にも広がった。
サンフランシスコの大学病院には、彼の名が付いた小児病院がある。2010年から夫妻で寄付を続けてきた。
年に一度の自社イベントでは、派手なシャツで舞台に立ち、その年の新しい言葉を自分で発表する。
商売の目的は商売ではない。世の中の状態を良くすることだ
社内では家族という言葉を掲げ、結束を強調してきた。裏を返せば、27年間ずっと創業者が頂点にいる会社でもある。
交代の準備は動いている。2025年に財務と運営を束ねる役員を置き、2026年8月には営業出身の役員を最高執行責任者に引き上げた。
それでも本人が退く気配はない。会長と最高経営責任者を兼ね、いまも新しい呼び名を自分で打ち出している。
AIが働くなら、席は誰が買うのか
2024年に出した「エージェントフォース」は、社員の代わりに問い合わせや事務を片づけるAIの部隊、という意味の商品名だ。
伸びは速い。2026年4月末で年換算 $1.2B、1年で3倍になった。
同時に矛盾も抱える。この会社は使う人の数だけ料金をもらう商売で、AIが人を減らせば足元が細る。
自社で先に試している。2026年1月期はエンジニアを新規に採用せず、AIの補助で生産性が3割近く上がったと本人が語った。
一方で2026年4月には、新卒1,000人を採ると宣言した。AIが若手の仕事を消すという見方への、公開の反論だった。
株価は2026年に入って2割5分ほど下げた。それでも8月、ベニオフはソフト業界の先行きを疑う声を「完全に間違っている」と一蹴した。
ソフトウェアはAIに食われるという弱気筋の見立ては、完全に間違っている
27年目の宿題
ベニオフはいま、自分が作った商売の前提を自分で壊しにいっている。人が画面を触る回数が減るほど、席の数で数える売り方は成り立たない。
だからセールスフォースの株を見るときは、売上の伸び率より先に二つを追うといい。エージェントフォースの年換算収入と、営業利益率の動きだ。
前者が伸びなければ、この会社はよくある成熟したソフト会社になる。後者が崩れれば、3年かけて取り戻した株主の信用が消える。
27年前、彼はバッジ一つで業界の常識を裏返した。同じことをもう一度やれるかどうかを、市場は四半期ごとに採点している。
出典:
- Salesforce, Inc.「Salesforce Delivers Record Fourth Quarter Fiscal 2026 Results」 — https://investor.salesforce.com/news/news-details/2026/Salesforce-Delivers-Record-Fourth-Quarter-Fiscal-2026-Results/default.aspx
- Salesforce, Inc.「Salesforce Delivers Record First Quarter Fiscal 2027 Results」 — https://investor.salesforce.com/news/news-details/2026/Salesforce-Delivers-Record-First-Quarter-Fiscal-2027-Results/default.aspx
- Salesforce, Inc. Form 10-K, 米国証券取引委員会 EDGAR — https://www.sec.gov/cgi-bin/browse-edgar?action=getcompany&CIK=0001108524&type=10-K
- CNBC「Salesforce buys Slack for $27.7 billion in cloud company's largest deal」 — https://www.cnbc.com/2020/12/01/salesforce-buys-slack-for-27point7-billion-in-cloud-companys-largest-deal.html
- CNBC「Marc Benioff gets a new operating chief, as Salesforce promotes Miguel Milano」(2026年8月) — https://www.cnbc.com/2026/08/05/marc-benioff-gets-a-new-coo-as-salesforce-promotes-miguel-milano-.html
- The Motley Fool「Marc Benioff Says Wall Street's Fears That AI Will Kill Salesforce Are "Dead Wrong"」(2026年8月) — https://www.fool.com/investing/2026/08/21/marc-benioff-says-wall-streets-fears-that-ai-will/





